Day4 地球温暖化のリアル(2025年6月14日)
北緯79.36度 気温4度

午後は本日2度目のゾディアックボート乗船で島に上陸する。
連載5で触れた伝説の猟師スヴェン・オルセンが仲間たちと建てた猟師小屋があるという場所だ。
その小屋の名は「テキサス・バー」。
雪原にポツンと建つ小屋を、あえて賑やかなアメリカの酒場になぞらえて付けた名前らしい。
そこは過酷な地に生きる男たちの憩いの場だったのだ。
試しにGoogleマップで「スヴァールバル諸島、テキサスバー」と検索してみたら、ちゃんと「TEXAS BAR」と出てきた。
さすが文化遺産指定バー!
Googleさん、ご親切にも「24時間営業」と載せていらっしゃる。
ま、開いていると言えばずっと開いているが、もちろん営業もアルコールの販売もしておりませんのでご注意くださいませ。

小屋の中には、2段ベッド、薪ストーブと薪、そしてたくさんの酒の瓶が並んでいる。
お、私の大好きなドイツのハーブリキュール、イエーガーマイスターの瓶もあるぞ、ふふふ!
猟師たちは酒を交わしながらどんな話をしていたのだろう。
訪問者が書き込めるノートが置いてあったので、勇者に敬意を表し私も一筆残してきた。

テキサス・バー裏手の丘に登ると、残雪と大地が描くまだら模様の景色が広がっていた。
地面が顔を出した場所には小さな花たちが集まり嬉しそうに笑っている。
鮮やかなマゼンタ色のそれは、北極圏で最も早く咲く花の一つとして知られるパープル・サキシフレッジ(Purple saxifrage)、和名はムラサキユキノシタ。
太陽の沈まない白夜の間に少しでもたくさんの光を浴びようと一生懸命な様子だ。
地球上で最も過酷な場所で花を咲かす健気さを主役にして、雪を残す背後の山と一緒に下からのアングルで写真に収めよう。
地面にベタっと寝そべりたいところだが、花を潰さないように体勢を整えたら四つん這いになってしまった。
どうもこの時、後ろから来ていた仲間たちに「あそこで酔っ払いが吐いてるよー^^」と撮られたのがこの写真だ。
そーじゃない。
私はユキノシタたちと一体になっていただけだ。
テキサス・バーで盗み飲みなんてしていない。

他にも雪解けを待っていた何種類もの植物がつぼみをほころばせ、気が早い子は花びらを広げ始めている。
黄色いのはバターカップ(Buttercap)、和名は金鳳花。
白いのはアイスランドの国花でもあるマウンテン・エイヴンズ(Mountain Avens)。
和名は……ググッてみると、出てきた名前はチョウノスケソウ。
長之助草?
北極圏まで来て長之助さん?!
どうも明治時代にこの植物を富山県立山で発見・採取した人物、須川長之助氏の名前から来ているらしい。
日本にも生息している植物だとは驚きだ。


芽吹いた命を踏まないよう、注意深く歩を進める。
到着した丘のてっぺんからは雄大に広がる氷の世界の絶景が見渡せた。
対岸にはどこまでも連なる雪の山、手前の海にはポツンと浮かぶオルテリウス号、右手のフィヨルドが終わる湾奥には二つの大きな氷河が海に流れ込んでいる。
「流れ込んでいる」と書いたのは、氷の河はジッとしているように見えるが、実はゆっくりと海へ移動しているものだからだ。
先ほどゾディアックを操縦してくれたアラン隊員がいて、興味深い話を聞かせてくれた。
「前方に二つの氷河が見えるけど、かつて二つは繋がっていて一つの大きな氷壁となっていたんだよ。2015年に見た時は、左右に広がり海に押し寄せる大きく長い壁だった。温暖化の影響で、氷河の厚みが減り、後退が進み、2000年ころから二つに認識されるようになったんだ。様々な説があるけど、10年、いやそれよりもっと近い将来、北極から氷は溶けて無くなるだろう。スヴァールバル諸島は雪に覆われているから、雪の白で太陽光が反射するため被害の進行は北極海よりは遅い。北極海は光を吸収する暗い色の海が広がっているから、進行が早いんだ」
なるほど、だから北極海はより影響を受けやすいのか。
「スヴァールバルでの進行が遅いといっても自然環境や動物の生態はすでに変わっている。例えば、ホッキョクグマはアザラシを主食としているけど、2000年ころから彼らの糞の中にトナカイの毛や骨が見つかる割合が増えたそうなんだ。2020年にはトナカイを仕留めるホッキョクグマの様子が初めて動画で撮影されたらしいよ」
温暖化で海上に浮く氷が減り、行き場を失ったホッキョクグマが陸地に上がっている時間が増えたことや、保護政策でトナカイの数が増え、狩りのチャンスが増えたためといった背景があるようだ。
氷上や時には水中からアザラシを狩るホッキョクグマが生態を変え、陸上でトナカイを狙う。
言うなれば、少し大袈裟だが、ユーカリを主食とするコアラが森を追われ海に降り、海藻を食べるようになった、程の大変化ではないか?
やるせない気持ちを抱えたまま丘を降りた。
雪解け水が海に向かってチロチロ、チロチロと流れている。
スヴァールバルの優しい初夏の音色が切なさを慰めてくれた。
海岸に戻るとボートの周りが何やら騒がしい。
あぁ恐ろしや、例のあれ、始まっちゃったのね。
あれとはポーラープランジという、南極や北極クルーズ恒例のクレイジーなイベントのこと。
極寒の水温ほぼ0度の海に飛び込み、極地の洗礼を受けるのだ。
足先だけを水につけても痛いほど冷たいのに、飛び込むなんて私にはムリムリムリ。
しかし、我々を率いるオンリーワントラベルCEO山田氏、意を決して飛び込んだー!
もう一人の仲間も行ったー、潜ったー、浮上したー、アザラシになって生還だー。
見てるだけで寒気がしてくる。
飛び込んだ人たちは、変な興奮状態に陥っていてずっと笑い続けている。
全くもってクレイジーだ。笑笑笑

洗礼を受けた興奮冷めやらぬ面々と共にオルテリウス号へ戻った。
ディナーまで時間があるのでデッキで過ごしていたのだが、しばらくすると、対岸に一頭のホッキョクグマが登場!
縞模様に雪解けした地面、そこを歩く白いクマの姿が点景となり、ファインダーの中でアートを感じさせる極北の初夏の光景が広がった。
しばらく目で追っていると、突然クマが走り出した。
前方にいるのはトナカイではないか!
たった2時間前にアラン隊員から聞いたことが、目の前で繰り広げられたのだ!

氷が減り、追い詰められたホッキョクグマが生き延びるために変化させた新たな生態。
だが、足の速いトナカイを持久力のないクマが捉えるのは容易なことではない。
そもそもホッキョクグマというのは、アザラシが氷に開けた息継ぎ穴で何日も待ち伏せしたり、氷上で休む彼らに風下や水中から忍び寄るスタイルの狩りを得意とする動物なのだ。
仕留めるには、トナカイの動きを封じるため海に追い込む必要がある。
しかし、そのクマはさほどやる気を見せておらず、海に追い込める角度で走ってもいないし、そこにトナカイがいたからダメもとで追ってみたという程度の雰囲気だ。
想像通り狩りは失敗に終わるが、トナカイたちが跳ねるように走り去った後も、どこへ向かっているのか孤高の王者は何事もなかったかのようにひたすら海岸線を進んでいく。
大型動物の生態まで変えてしまうのが地球温暖化のリアル、避けることのできない現実だと実感させられる出来事だった。
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次回の第8話は、高砂淳二シショー直伝・動物撮影テクニックの話。お楽しみに。
<文・写真> フォトラベラーYori




