Day8 おしくら茶まんじゅうなセイウチ山(2025年6月18日)
12:00 GPS 北緯78.15度 気温2.7度

乗船からあっという間に1週間。

ゾディアックボートで冒険できるのも今日が最後になってしまった。

オルテリウス号は本日の上陸目標地プリンス・カール・フォーランド島(Prins Karls Forland)へ向かっている。

我々を快く迎えてくれたようで、島に近づく頃にはチラつく雪も霧も消え去っていた。

そこは全長86キロメートル、しかし幅は一番広いところでもたった5キロメートルしかない南北にのびる細長い離島の国立公園。

野鳥、トナカイ、ホッキョクグマ、そして水面バナナ・ゼニガタ君たちや、彼らの界隈でラスボス的貫禄を誇るセイウチのコロニーもあり、野生の命を抱く回廊のような島なのだ。

周辺の海には浅い部分が有り大型クルーズ船は近寄れないため、頼れるゾディアック兄貴の登場となる。

乗り換えにもすっかり慣れたボートに収まり、雄セイウチたちの陣地・プーレピンテン(Poolepynten)へと出発した。

Svalbard_Prins Karls Forlan

もちろん野生動物を予約することはできないから保証はないが、5月〜7月が最も遭遇率が高いそう。

冬場は氷の上へ移動し生活する彼らだが、毛の生え変わるこの時期は陸上でひなたぼっこをして血流を良くするのが大事らしい。

繁殖活動を終えたオスは体を休めたいし、冬に備えるため脂肪もたっぷりつける必要がある。

餌が豊富なこの場所はお疲れ気味のボスたちにとって、食っちゃ寝できる理想的な福利厚生施設みたいなものなのだ。

上陸して10分ほど歩いただろうか、ウッヒョー、これは圧巻!

数十頭の巨体が密集する、おしくら茶まんじゅうセイウチ山だー!

スヴァールバル諸島_セイウチコロニー

全長3メートル、体重1トンを超え、北極圏の海獣で一番デカくて迫力満点なセイウチの集団。

が、しかしだ。

全員デーンと寝転がったまま爆睡中で全く動きがない。

グゥォォオオ〜ン、グゥォォオオ〜ンと低音のいびきまで響かせている。

うーん、動画は音が入るからまだしも、どうやってこの笑いを誘ってくるド迫力をスチル写真に収めたら良いものやら。

寝返りを打つ個体がいると、茶まんじゅう山の中から牙が見え隠れする。

寒さ対策なのかお互いの体を密着させているが、牙がぶつかって「痛ってぇなー」とかならないのかな。

それにしてもしっかりした大きな牙だ。

セイウチはオスだけでなくメスも牙を持っており、生涯伸び続けるという。

他の動物のツノ同様に大きいほど強者と認められるらしいが、それだけでなく、水中から氷の上に這い上がる時、ピッケルのように突き立てて支えに利用するのだそう。

哺乳類なのに水中に30分も潜っていられる彼らだが、呼吸は必須。

水中から頭上の氷に呼吸穴を開ける時にも牙が活躍する。

ステータスだけにとどまらない万能ツールな牙なのだ。

ようやく、頭をもたげたり伸びをするものが出てきた。

動きが連鎖しあちらこちらで牙が上下する。

スヴァールバル諸島_セイウチコロニー2
ラスボス風セイウチ

ラスボスの貫禄をにじませる一頭の巨体が動きを見せた。

群れから離れ10メートルほど先の海へ向かうようだ。

アザラシの場合、手足をほとんど使わず腹部をゴムボールのように弾ませて前進するポヨンポヨン歩行で本人も楽しそうに見えるが、さすがに体重1トン超えともなるとそうはいかない。

セイウチは4本足を使った巨体を揺らしながらのノッシノッシ歩行だ。

と言ってもでっぷりした腹を浮かせるほど手足は長くないため、頭を上げた擦り足ほふく前進に近い。

砂地はなだらかに海へと続いており、ズルズルノッシノッシ歩行で難なく前進している。

この場所に陣地を構えたのも、それが理由の一つなのだろう。

相撲取り風セイウチ

海から数頭のセイウチが戻ってきたが、何故だかすんなり浜に上がって来ない。

図体の割に警戒心が強く臆病な一面もあるというから、我々の存在が気に食わないのかもしれない。

そのせいなのか、広い浜だというのに互いに離れず海に浸かったままだ。

挨拶しているのか、情報交換しているのか、波打ち際で何やらごちゃごちゃやっている。

相撲取りたちが温泉に浸かりながらあーだこーだと雑談しているように見えなくもない。

しばらくすると彼らも浜に上がり、茶まんじゅう山の一部になっていった。

予想以上に動きを見せ、いい役者になってくれた巨大海獣たち。

隊員によると、前回のツアーでは45分間微動だにせず寝転がり、全員がずっと熟睡したままだったらしい。

セイウチたちのご機嫌なお目覚めにありがとうな朝となった。

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スヴァールバル諸島_Fuglehuken

一旦オルテリウス号に戻り、ランチ後に島の最北端にあたるフグレフーケン(Fuglehuken)に上陸した。

なだらかな丘は枯れ草に覆われているが、その間から新しい緑の草や鮮やかな苔が顔を出している。

我々を迎えてくれたのは、魔女が被るとんがり帽子のような姿をした山だった。

不思議な魅力を持つその山を見上げながらフカフカの草地を気持ち良く歩いていたら、罰ゲームのごとく足がグチャっと沈んでしまった。

乾いたフリして、実はかなりの雪解け水をその下に隠しているではないか。

草隠れのぬかるみと小さな花を踏まぬよう酔っ払い歩行状態で丘を登っていくと、とんがり帽子に近づくにつれ鳥の声が大きく複雑に重なってきた。

ノルウェー語でFugle・鳥、huken・岬という意味のこの場所は、名前の通り海鳥で凄いことになっている。

ヒッチコックの『鳥』という映画を彷彿とさせるほどの大群が頭上を行き来しているのだ。

よく見ると、多くの鳥はクチバシでたくさんの海藻をくわえて山の方へ飛んでいく。

実はこのとんがり帽子山、何種類もの海鳥たちが同居する断崖絶壁巨大アパートメントのような場所で、数万羽もの海鳥が巣作りをしているのだそう。

海藻はその巣作りの素材で、泥と混ぜて使いお椀型にこしらえる。

柔らかいから形を整えやすいし、乾けばコンクリートのように硬くなるため崖にしっかり固定できるし、いくらでも手に入る。

鳥たちは集めやすい豊富な素材を使って環境に合わせた巣作りをしていた。

スヴァールバル諸島_ミツユビカモメ

以前、自宅前のユーカリの木に白黒のカラスのようなマグパイという鳥が作った巣を見つけたことがある。

木が揺れるとキラッと光ったり人工的な色も見え隠れするため気になって望遠レンズで覗いてみたら、なんと巣の素材は周辺住民のベランダから盗み取ったハンガーだった。

「曲がるし丈夫、設置も簡単なオススメ新素材!スタイリッシュな都会のライフスタイルが実現!」なんて情報が彼らの間で広まっていたのかもしれない。

東京のカラスも同様だと聞いたことがある。

ま、集めやすい豊富な素材を使って環境に合わせた巣作りという点は間違っていないが、私も盗まれた一人なんだよね。

スヴァールバルトナカイ_オス
鳥の大群に気を取られ上ばかりをみていたが、地上ではミルクティーのような色をした何頭ものトナカイが平和に草を喰んでいる。

サンタクロースのソリを引く赤鼻たちとは様子が違い、頭は丸みを帯び、全体的にずんぐりとしていて首も脚も短い。

おまけに顔がパンダだ。

精悍さとは程遠いなんとも愛嬌のあるスヴァールバルトナカイだが、その目にはスゴい秘密が隠されている。

まず、パンダ状に目の周りを覆う暗色の毛は、白い雪原の反射光を吸収し眩しさを軽減させているのだそう。

チーターの目から伸びる黒い線・ティアーズラインと同じ役割だ。

野球選手が太陽光や照明の眩しさを抑えるために目の下を黒くするアイブラックは、動物たちからヒントを得たものなのかもしれない。

さらに驚きなのは、今回私が出会ったトナカイたちは茶色の瞳をしていたが、冬になると劇的に変化し青色になるのだそう。

白夜の時期は長時間の太陽光線から目を守るために暗い色になり、極夜になると光を集める瞳孔を広げっぱなしにするため眼圧が高くなり青くなるらしい。

カラコン無しで目の色を変えられるとは!

秘密はまだある。

哺乳類には珍しく紫外線を見る能力も備えているという。

主食の苔や敵となりうるホッキョクグマの毛は紫外線を吸収する。

そのため、真っ白な雪の大地でも、餌やクマがくっきりと黒く浮かび上がって見えるのだそう。

スヴァールバルトナカイはパンダ顔して神業を隠し持つスゴいヤツだったのだ。

あまり人を恐れていないようで、一頭が私に向かってノソノソと近づいてきた。

私は顔に日焼け止めを塗っていたから、その子には真っ黒い顔をした2本足で歩く変な生き物に見えて気になったのかもしれない。

スヴァールバルトナカイ_メス

高砂淳二シショートナカイ撮影中

高砂淳二シショー、トナカイ撮影中。レンズフレアが祝福する虹のよう。

振り返れば、静かな海面に姿を映したオルテリウス号が浮かんでおり、その背後には雪を冠した山々を連ねる本島が広がっている。

何時間でも眺めていられるような透明感のある地球の素顔だ。

あっという間に1週間がたち、我々は明朝オルテリウス号を下船する。

初日から恵まれ、全部で7頭もの極北の孤高の王者・ホッキョクグマに会うことができた。

スヴァールバル諸島では調査のためおよそ半数の雌クマにGPSが付けられているそうだが、自然写真を撮影するにはあまり写し込みたくない装置だ。

ありがたいことにそれを装着した個体に会うことはなかった。

北極海に浮かぶパックアイスのモザイクアート、光を放つ氷山、青い氷の河、極北に生きる小さな命たち。

異次元の世界に紛れ込んでしまったような白夜の日々だった。

夏季に限られてはいるが、北極圏のパックアイスエリアなどという過酷な場所に私のような一般人が入れるようになったのは1990年代初頭からだ。

そして地球温暖化により、非常に近い将来、夏の北極海からそのパックアイスは消滅してしまう。

40〜50年だけの許された時間。

地球の年齢を45億年と考えれば、一瞬のことだ。

その奇跡的瞬間に自分が生まれ居合わせたことが偶然ではないように感じてしまった。

最後の姿を記録しなければと焦るような気持ちが膨らみ、この冒険に参加することを決めた。

2025年6月のスヴァールバル諸島と北極海の現状を写真と文字で想いを乗せながら綴り、伝え、将来へ残せたことは、後悔なく生きるという自分との約束を守れたように思う。

暗くならない白夜に、夢と現実を曖昧にさせる魔力を感じる旅だった。

そして人間が存在しない無機質な景色に、人間の罪と愚かさを見る日々でもあった。

セイウチ山の一頭が我々を見送るように手を振ってくれたシーンが脳裏に浮かんだ。

この経験をありがとう。そしてごめんなさい。

謝意の気持ちが複雑に絡まる心で、北極圏・スヴァールバル諸島に別れを告げた。

<文・写真> フォトラベラーYori


スヴァールバル諸島_手を振るセイウチ