Day5 北緯80度のサプライズ(2025年6月15日)
北緯80.60度 気温氷点下1度
漂う海氷に覆われた北極海の大海原を目指し、オルテリウス号は北上中だ。
その時間を利用して、ラウンジではホッキョクグマや海洋哺乳類の生態についてや写真の撮り方などのレクチャー、続いて隊長による明日の行動予定ブリーフィングが行われた。
「いよいよパックアイスに覆われた海域に滞在する二日間となります。ホッキョクグマは氷の上で生活をしているので、皆さん暖かくしてできるだけ長くデッキで過ごし、一緒に野生動物や野鳥を探しましょう。一つでも多くの目があれば発見の可能性が高くなります。ただし、動物たちを驚かせないよう静かにお願いします」

ミツユビカモメ(Black-legged Kittiwake)
パックアイスとは風や海流の影響で常に移動している海氷の集合体のことで、我々が耳にする「流氷」はパックアイスの一つに分類される。
それには重要な役割があった。
*ホッキョクグマにとって主食のアザラシを狩ることができる唯一の場所だということ。
*泳ぐよりエネルギー消費を抑えた徒歩移動を可能にしているということ。
*休息を取ったり、子育てや子供に狩りを教える場所になっているということ。
地球温暖化によりパックアイスが消滅するということは、狩りも移動も休息も子育ても不可能になることを意味するのだ。
ブリーフィングがまとめに入ろうとした時、またしてもステキなニュースが飛び込んできた。
今回の航海で初めてのパックアイスが現れた。
そしてなんとそこにホッキョクグマがいるというではないか!
素晴らしきサプライズ!
急ぎデッキに出ると、進行方向左側は今までと同じ暗色の海だけだが、右側には氷でできた白い大地が広がっていた。

あそこだ!
がっしりと体格が良くとても大きい極北の王者が、こちらをしきりに気にしながら立っている。
それはそうだろう、巨大なクルーザーが目の前に現れたのだから。
それなのに、そのクマは怯むことなく、なぜか氷を渡りながらこちらに向かってくるではないか。
こんなに近くで観察できるなんて我々としてはとてもありがたいことだが、例の野生動物好奇心がそうさせてる?
それとも君はサービス精神旺盛エンターテイナーなのか?
しかし、いずれでもなかった。
彼は氷の大地が終わる場所に置いた獲物が心配になり回収しにきたのだった。
こちらを一瞥し、獲物をくわえ引きずりながら安心できる場所まで移動する。
そして奪われてはならぬと思ったのか食べ始めると、彼の周りが空からの来客で賑やかになってきた。
ホッキョクグマはエネルギー効率の良い脂肪分を優先的に食べ、赤身は残すことも多いらしく、そのおこぼれを頂戴しようとカモメたちが集まってくるのだ。
王者の贅沢な食し方は極寒北極の生態系をしっかりと支えていた。
意外なことに、これから来る本格的な夏である7月〜9月というのは、ホッキョクグマが一番お腹を減らす季節だという。
氷が解け足場が減るため、得意の「アザラシ息継ぎ穴氷上待ち伏せ大作戦」が機能しなくなるからだ。
夏を乗り切るには、どれだけの脂肪が蓄えられるかが鍵となるため、今の6月までが彼らにとって重要な狩りのシーズンなのだそう。
クマの姿が見えなくなるまで夢中で撮影を続け、気が付けば2時間近く経っていた。
いつものことだが、撮影を終わりにすると急に寒さを感じてくるし空腹だと気づく。
さあ、今度は我々の食事の時間だ。

食事を終わらせ再びデッキに出てみると、またまたホッキョクグマを発見!
先ほどの場所からそう遠くないと思うのだが、餌を引きずり移動させていたクマとは別の個体のよう。
彼らにはテリトリーという概念はないという。
そもそもそれが成り立たない。
なぜなら彼らの住む氷上という環境は絶えず動き変化しているからだ。
それよりも氷の状態に合わせて移動するアザラシの跡を追うことの方が重要だというわけ。
もちろん餌を横取りするようなヤツが出てきたら小競り合いくらいはするそうだが、大きなクジラの死骸が上がった時などは十分な量があると判断し、数十頭が争うことなく一緒に恩恵を受けるのだそう。
彼らは空気読める孤高の平和主義者なのだ。
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ここはいったい北緯何度になるのだろう。
航海計器が示す正しい数値が見たくて最上階にあるブリッジ(操舵室)を覗きに行ってみた。



そこは……私のイメージが古すぎるのだが、「面舵いっぱーい!」といったアナログな雰囲気なんてまるでなく、コンピューター制御の計器が行儀よく金属製キャビネットに収まっていて、全体的につるんとしている。
航路を示すモニターを見て目に入った数値は80.40。
北緯80度を超えていた!
だからホッキョクグマと遭遇しても、500メートルの距離を取るために離れる必要はなく近くで観察することができたのか。
と言っても、クマの方から寄ってきたのだけど。

棚には綺麗に畳まれた国際信号旗が収まっていた。
一字信号用のアルファベット旗の他に、国旗もある。
外国の港に入る時は敬意を表し、その国の国旗を掲げる慣習があるのだそう。
そういえばオルテリウス号もロングイェールビーン出航時にノルウェーの国旗をたなびかせていた。
棚の下段には、グリーンランド、アイスランド、サウスジョージア、フォークランド諸島など、この船が活動する北極圏と南極圏にある国々の国旗や領土旗が備えられている。
行ったことのある地名をみつけて、懐かしい冒険の思い出が脳裏で騒ぎ出した。
我々を乗せた頼もしき耐氷船オルテリウス号は、更に100キロメートルほど北上するらしい。
明日目が覚めたら、北極海は見渡す限りのパックアイスに覆われていることだろう。

アイスランド: キルキュフェットル山を飾る宇宙のお絵描き

フォークランド諸島サンダース島: 踊るジェンツーペンギンダンサーズ
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次回の第10話は、北極海のモザイクアート。お楽しみに!
<文・写真> フォトラベラーYori




